『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan

『アフターソーツ』/
オードリー・モリス
Afterthoughts/
Audrey Morris 
\2,000円+税 (XQAM-1912) 原盤:ファンシー・フェア
録音:1984年 プライスダウン
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気品と哀感ただよう静謐な雰囲気を持った、 オスカー・ピーターソン絶賛の格調高い作品。 輸入盤LPで評判をとったオードリー・モリス最高傑作の17曲完全盤。  
 


1. Mira/ミラ  >>試聴
2. He's Too Far Above Me/ヒーズ・トゥー・ファー・アバヴ・ミー  >>試聴
3. Dreamer/ドリーマー  >>試聴
4. You Are for Loving/ユー・アー・フォー・ラヴィング  >>試聴
5. My Silent Love/ マイ・サイレント・ラヴ >>試聴
6. I'm a Dreamer, Aren't We All?/ アイム・ア・ドリーマー、アーント・ウィー・オール?  >>試聴
7. Fools Fall in Love/フールズ・フォール・イン・ラヴ  >>試聴
8. Nobody/ノーバディ  >>試聴
9. (I Don't Stand) A Ghost of a Chance (With You)/ア・ゴースト・オブ・ア・チャンス  >>試聴
10. Very Good Advice/ ヴェリー・グッド・アドヴァイス   >>試聴
11.Rain Sometimes/レイン・サムタイムズ  >>試聴
12. His Own Little Island/ ヒズ・オウン・リトル・アイランド  >>試聴
13.But I Loved You/ バット・アイ・ラヴド・ユー  >>試聴
14.Time Heals Everything ~ I Won't Send Roses/ タイム・ヒールズ・エヴリシング 〜 アイ・ウォウント・センド・                                 ローゼズ  >>試聴
15.And I Was Beautiful/ アンド・アイ・ワズ・ビューティフル  >>試聴
16.These Foolish Things (Remind Me of You)/ ジーズ・フーリッシュ・シングズ  >>試聴
17.Afterthoughts/ アフターソーツ  >>試聴

 


オスカー・ピーターソンも賞賛するオードリー・モリス

 ピアニストにとって、いろいろと過度な要求をしてくるクラブのオーナーやバンド・リーダーへの有効な対応策のひとつが弾き語りである。その代表例がナット・キング・コールでありジェリ・サザーンだが、そのリストにオードリー・モリスも加えたい。オードリーがピアニストとしてプロの世界に入ったのは高校を卒業した直後の1947年で、コーデッツという女性オンリーのバンドだった。半年ほど経ったとき、バンドのアレンジャーだったジーン・ギフォードが自らアレンジしたペギー・リーのレパートリー「ホワット・モア・キャン・ア・ウーマン・ドゥー?」を歌うようオードリーに迫った。こんなタイトルの歌を選ぶのもいやみな話だが、オードリーは歌えないと断るもギフォードは譲らず、ここにシンガー、オードリー・モリスが誕生することとなった。
オードリーは2002年にジャーナリストのジャスティン・ヘイフォードに告白している。「それはびくびくでした。もう昔のことですから、うまく歌えたのかひどかったのかは忘却の彼方、ってところかしら」。ニューヨーク州のウォータータウンでのことである。
しかし、1955年にXレーベルから発表されたデビュー・アルバム『ビストロ・バラッズ』(LAX-1028)では、ピアノはもちろんのこと、歌も自信に溢れている。2004年にオスカー・ピーターソンはオードリーに書き送った。「貴方のバラードへのアプローチから多くのことを学びました。歌詞をどう解釈しピアノやグループのプレイにどう反映させるかということを。貴方自身はご存知ないかも知れませんが、ロンドン・ハウスで共演したミュージシャンたちはみな貴女のことを尊敬しています。シカゴという町はオードリー・モリス、つまり貴女を誇りに思うべきです」。いろいろな機会にピーターソンは何度となくオードリーを賞賛した。同意見のミュージシャンやジャーナリストは多いが、「シカゴのリヴィング・レジェンド」と形容する人も少なくない。しかし、オードリーはそのような賛辞にいつも戸惑っている。


オードリーのレコーディング・キャリア

 

シカゴのサウス・サイドに生まれたオードリーは9歳でピアノをはじめた。地元のアメリカン音楽院に学んだが経済的な理由で15歳のときに正規の音楽教育を断念し、しばらくして7人編成のコーデッツに入るが故郷のシカゴに定着し、その後はシャーマン・ハウス、ロンドン・ハウス、ミスター・ケリーズといった名門クラブに20年以上にわたって出演することになる。
『ビストロ・バラッズ』に続き、1956年の夏にはマーティ・ペイチの編曲指揮で伝説のハリウッド・ストリング・カルテットとベツレヘムにアルバム『ザ・ヴォイス・オブ・オードリー・モリス』(BCP-6010)を録音した。アルバムのジャケットにはザ・ベツレヘム・ストリングスとしか書かれていないのは、この四重奏団がキャピトルと契約していたからだろう。フランク・シナトラがアルバム『クロース・トゥ・ユー』(キャピトル)でハリウッド・ストリング・カルテットを起用するのはそれから4カ月あとのことである。

しかし、ロックの台頭と同期するがごとく、レコーディング・アーティストとしてのオードリーは30年間沈黙のときを刻んだ。そしてようやく1984年、オードリーはレコード・レーベル(ファンシー・フェア)を立ち上げ自らプロデュースしてレコーディングする決意を固めた。その第一弾が自らの歌とピアノ、夫のステュー・ジェノヴィーズをフィーチャーしたLP『アフターソーツ』(No #)である。このアルバムは1990年になって、6曲(ACFIKN)を追加したCD(Fancy Faire FFCD-1633)として改めてリリースされた。これら6曲はいずれも同じ1984年の録音で、曲のコンセプトやムード、ミュージシャンはLPの11曲と方向性が同じなので統一感があり、しかも引き続き高水準のトラックばかりである。
このレコーディングの経緯についてオードリーは「アルバムを作ろうと思ったわけではないのです。友人のひとりがスタジオを持っていて、空いている時間なら自由に使ってもいいと云ってくださいました。それとほかの友人たちからは、レコーディングしてほしいと何曲かリクエストをもらっていたことが後押ししたのです」。ここでオードリーは「自慢するつもりではないのですが」と断って「録音した4曲をオスカー(・ピーターソン)に聴いてもらう機会がありました。しばらく聴いていたオスカーはキッパリと云ったのです “すぐに戻んなきゃ!”って。レコーディング・スタジオに、という意味です。『アフターソーツ』のアルバムはこうしてはじまったのです。完成後にシカゴのラジオ局でオンエアがはじまりましたから、やってよかったと思いました」。

 アルバムに収録されたナンバーのうち「マイ・サイレント・ラヴ」「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」「ア・ゴースト・オブ・ア・チャンス」あたりはグレート・アメリカン・ソングブックに入る資格があることは誰もが認めるところだろうが、アーサー・ハミルトンの「レイン・サムタイムズ」や「ユー・アー・フォー・ラヴィング」がスダンダードか否かは議論の余地があるし、「ミラ」や「ヒズ・オウン・リトル・アイランド」ほかの無名曲が多数収録されている。どうやって無名曲を発見したのか自然と興味のわくところだ。「バット・アイ・ラヴド・ユー」は、当時シナトラがレコーディングしていたが、ジャック・ジョーンズのレコードですでに聴いていた。だが、大半はシカゴ地区では有名なパーソナリティーだったスタッズ・ターケルが1944年にはじめたラジオの長寿番組『ザ・ワックス・ミュージアム』で知ったものだった。

 『アフターソーツ』のあと、オードリーは1999年の『ラウンド・アバウト』(Fancy Faire S-SSD--0059)まで『フィルム・ノワール』(Fancy Faire FFCD-7845/1989年)、『ルック・アット・ミー・ナウ』(Audiophile ACD-297/1997年)の3枚のアルバムをプロデュース・録音したが、以上『アフターソーツ』からの4枚のアルバムは30年間のブランクを補ってあまりある優れた作品ばかりである。
SSJレーベルが『アフターソーツ』に興味を示していると私がオードリーに電話を入れたとき、その何日か前に彼女の弟が日本から国際電話をかけてきたという。「日本料理店にいたら『アフターソーツ』が流れてきたんだ。頭がくらくらしたよ」。弟からの電話がSSJにライセンシングしようと決めた理由のひとつである。「アルバムの自主制作をはじめたときから、日本のファンはずっと私のレコードを愛してくれてきました」。

2010.3.2.? ビル・リード


曲目について

 
@ ミラ
1961年にブロードウェイのインペリアル劇場で開幕したミュージカル『カーニヴァル!』で紹介された。作詞作曲はボブ・メリル。彼は、バーブラ・ストライザンドをスターダムに押し上げたブロードウェイ・ミュージカル『ファニー・ガール』の「ピープル」の作詞者(作曲はジューリィ・スタイン)でもある。
A ヒーズ・トゥー・ファー・アバヴ・ミー
オードリーのアルバムには「トゥー・ファー・アバヴ・ミー」とあるが、正式には「ヒーズ」がつく。1965年にブロードウェイで開幕し、1967年に映画化されたミュージカル『ハーフ・ア・シックスペンス(心を繋ぐ6ペンス)』でトミー・スティールが歌った。作詞作曲はデイヴィッド・ヘネカー。
B ドリーマー
アントニオ・カルロス・ジョビンが1963年に作詞(ポルトガル語)作曲したボザノヴァ・ナンバー。英詞はジーン・リーズで、1966年の出版。
C ユー・アー・フォー・ラヴィング
ジュディ・ガーランドが主演したミュージカル映画『若草の頃』(1944)のブロードウェイ・ミュージカル化『ミート・ミー・イン・セントルイス』(1989)のために、『若草の頃』でコンビだったラルフ・ブレインとヒュー・マーティンが共作した。
D マイ・サイレント・ラヴ
1931年にヒットした女流演奏家・作曲家・作詞家のダナ・スウィースの器楽曲「ジャズ・ノクターン」に、1932年エドワード・ヘイマンが作詞した。オードリーにピッタリの凛とした格調高いラヴ・バラードだ。
E アイム・ア・ドリーマー、アーント・ウィー・オール?
「ブルースの誕生」や「イット・オール・ディペンズ・オン・ユー」を書いたB.G.デ・シルヴァ、ルー・ブラウン、レイ・ヘンダーソン1929年の作品。映画『サニー・サイド・アップ』で、オスカー受賞第一号女優のジャネット・ゲイナーが歌った。
F フールズ・フォール・イン・ラヴ
1940年にブロードウェイのインペリアル劇場でオープンしたミュージカル『ルイジアナ・パーチェス』のためにアーヴィング・バーリンが作詞作曲した。
G ノーバディ
1世紀以上前の古い歌だ。作詞はアレックス・ロジャース、作曲はバート・ウィリアムズで、出版は1905年。アメリカ初の黒人スターだったウィリアムズ自身が1906年のステージ・ショウ『アビシニア』で紹介した。
H ア・ゴースト・オブ・ア・チャンス
1932年にビング・クロスビーとネッド・ワシントンが作詞、ヴィクター・ヤングが作曲したメランコリックなバラード。創唱はもちろんクロスビーだった。
I ヴェリー・グッド・アドヴァイス
1951年のアニメ映画『不思議の国のアリス』でキャスリン・ボーモントが紹介した。この映画ではタイトル曲がポピュラーだ。作詞はボブ・ヒリアード、作曲はサミー・フェイン。
J レイン・サムタイムズ
このバラードのレコードとしては、やはりベテラン・シンガーのピンキー・ウィンターズと双璧だ。年齢が加わらないと表現尽くせない歌かも知れない。作詞作曲は「クライ・ミー・ア・リヴァー」を書いたアーサー・ハミルトン。
K ヒズ・オウン・リトル・アイランド
映画音楽で数々の実績を残したジェイ・リヴィングストンとレイ・エヴァンスがブロードウェイ・ミュージカルのために書いた曲。1961年にユージン・オニール劇場でオープンした『レット・イット・ライド!』のためのナンバー。公演はわずか68回だった。
L バット・アイ・ラヴド・ユー
ゴードン・ジェンキンスが作詞作曲したしみじみとしたブルー・バラード。シナトラの1981年のリプリーズ盤(タイトルは「アイ・ラヴド・ハー」)が初録音という記述もあるが、1970年前後にジャック・ジョーンズがすでに吹き込んでいる(RCA)。
M タイム・ヒールズ・エヴリシング〜 アイ・ウォウント・センド・ローゼズ
ともに1970年にブロードウェイのマジェスティック劇場でオープンしたミュージカル『マック・アンド・メイブル』のためにジェリー・ハーマンが作詞作曲したナンバー。オードリーが歌うのは前者のみで、後者は間奏のピアノのみ。
N アンド・アイ・ワズ・ビューティフル
1969年にブロードウェイのマーク・ヘリンジャー劇場で開幕したミュージカル『ディア・ワールド』のために、ジェリー・ハーマンが作詞作曲した。
O ジーズ・フーリッシュ・シングズ
1935年にホルト・マーヴェルが作詞、ジャック・ストレイチーとハリー・リンクが作曲した、英国産スタンダードの代表格。しみじみとした大人のバラードだ。
P アフターソーツ
ラスト・ナンバーはあまり知られていないが、なかなかの佳曲だ。キャロリン・リーが作詞、ジーン・デ・ポールが作曲して1965年にナンシー・ウィルソンのキャピトル盤で紹介された。





2010.4.19.? 三具 保夫
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