『レラティーズ』/ドリス・ドリュー』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan

『レラティーズ』/
ドリス・ドリュー
Rarities/
Doris Drew
\2000+税 (XQAM-1917) 原盤: SSJ
録音:1948/49/53/57-59年 プライス・ダウン
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1957年録音のモード盤『デライトフル・ドリス・ドリュー』 でヴォーカル・ファンの間で根強い人気を誇るドリス・ドリューのレア音源集。レス・ポール(g)を迎えてのデモ音源はウルトラ・レア。
 


1 .Pennies From Heaven/黄金の雨    >>試聴
2. I Cried for You/アイ・クライド・フォー・ユー   >>試聴
3. There Will Never Be Another You/ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー   >>試聴
4. Put the Blame on Me/プット・ザ・ブレイム・オン・ミー   >>試聴
5. Tea for Two/二人でお茶を    >>試聴
6. Aba Da Aba Du/アバ・デイ・アバ・デュ   >>試聴
7. He's My Guy/ヒーズ・マイ・ガイ   >>試聴
8. Be My Lovin' Baby/ビー・マイ・ラヴィン・ベイビー  >>試聴
9. You're the Cream in My Coffee/ユア・ザ・ックリーム・イン・マイ・コーヒー   >>試聴
10. Life Is Just a Bowl of Cherries/ライフ・イズ・ジャスト・ア・ボール・オブ・チェリーズ  >>試聴
11. The Moon Is Blue/ザ・ムーン・イズ・ブルー  >>試聴
12. I Wish I Was Back in My Baby's Arms/アイ・ウィッシュ・アイ・ワズ・バック・イン・マイ・ベイビーズ・アームズ  >>試聴
13. All of Me (Bonus Track)/オール・オブ・ミー(ボーナス・トラック)  >>試聴

 

ドリス・ドリューの初レコーディング

 このアルバムの収録曲に関するディスコグラフィカルな情報は、不完全とはいえ別のところに掲げてある。しかし、伝説のギタリスト、レス・ポールのガレージ・スタジオで1948年にレコーディングされた「オール・オブ・ミー」(L)についてはここでも記しておきたい。
 アセテート盤に刻まれたのは「オール・オブ・ミー」「ベイビー・ベイビー・オール・ザ・タイム」「シリー・ウィリー・ニリー」「マイ・ダーリン、マイ・ダーリン」の4曲で、レス・ポールがプロデュースした。これらドリスの初吹き込みとなった4曲は発売を目的としたものではなくデモ・レコードで、レス・ポールのギターが聴けるのは「オール・オブ・ミー」だけである。オリジナル・アセテート盤の状態とレス・ポールが入っているという理由で、ここでは「オール・オブ・ミー」のみをボーナス・トラックとして収録している。伴奏はほかにドリスの兄のヘンリー・グルーエン(sax)とディック・ケイン(p)である。

順調なすべり出し

 ドリス・ドリュー(本名Doris Gruen)はテキサス州サン・アントニオで生まれた。誕生日は8月23日だが、生年は公表されていない。キャリアから推測するに1920年代の後半だろう。ピアニストだった母から歌の訓練を受け、1947年に陸軍を除隊した兄のヘンリーがロスに落ち着くと彼を頼ってやってきた。すぐにアル・ペレグリニのスモール・バンドで歌うようになり、次いでダウンタウンのミリオン・ダラー・シアターで行われたフランキー・レイン主宰のタレント・コンテストで3,000人近い出場者の中から優勝し、特典のひとつとして南カリフォルニア大学の近くにあったエディーズ・オアシスへ出演することができた。このクラブは当時ロスでは人気のスポットで、ナット・キング・コールやエラ・フィッツジェラルドも出ていた。ドリスはレス・ポール邸のセッションで伴奏してくれたディック・ケインをピアニストに指名し、このクラブで数ヶ月にわたって出演するほどの評判をとった。
 デモ・レコードにも反応があり、1949年にMGMレーベルとのレコーディング契約が成立して12曲吹き込んだ。うち1曲が「アイ・ウィッシュ・アイ・ワズ・バック・イン・マイ・ベイビーズ・アームズ」(K)である。1951年にはマーキュリーに移り14曲録音した。もっとも成功したレコードは「スウィート・バイオレッツ」で、ビルボード・チャートの22位まで上昇した。マーキュリー時代からは「ザ・ムーン・イズ・ブルー」(J)をピックアップしたが、この曲は公開差し止めにあったオットー・プレミンジャー監督、ウィリアム・ホールデン主演の映画『月蒼くして』の主題歌である。
 ドリスはハリウッドのシロスやサンフランシスコのビンボーズ、ニューヨークのバッブ・シティなどもっと格上のナイトクラブに出演できるようになった。ラリー・アレンと結婚してからはシカゴに住み、この地でも多くのクラブに出演している。
 当時のシンガーはまずビッグバンドから始まるのが普通だが、ドリスは大編成の楽団で歌った経験がない。「ささやくように歌ったことはないわ」というように、ドリスは声量に余裕のあるシンガーだが、バックをつとめたのは最大でもオクテットだった。

知名度を高めた『ザ・テネシー・アーニー・フォード・ショウ』

 ドリスのレコードが頻繁にラジオでオンエアされたことで、ラジオ・ショウ出演の道が拓けた。1954年ジャック・カーソンのラジオ・ショウにレギュラー・メンバーとして迎えられ、翌年の『ザ・テネシー・アーニー・フォード・ショウ』のレギュラーへの起用が大きく羽ばたくきっかけとなった。このショウは最初ラジオで、そしてのちにTVでも放映された。「ショウで数百曲は歌った」と述懐している如く、ロックが進出してくる最中、ドリスはグレート・アメリカン・ソングブックから多くの曲をとりあげたシンガーのひとりだったことを強調しておきたい。
 週5回NBCテレビとCBSラジオでオンエアされた『ザ・テネシー・アーニー・フォード・ショウ』からは3年半で降板したが、その後もドリスの歌声は常にテレビやラジオから流れた。コーンフレークで有名な食品会社ケロッグ、玩具メーカーのマテル・トーイ、トマト食品のハンツ、タクシーのイエロー・キャブ、ツナ缶で有名なスター・キスト、その他数えられないほどのコマーシャル・ソングを歌っていたからで、彼女のクライアント・リストにはオートバイのヤマハも入っている。
 そして1957年に有名な『デライトフル・ドリス・ドリュー』をマーティ・ペイチの監督のもとモード・レーベルに吹き込んだ。このアルバムは特に日本で今も人気が高い。1958年にはボビー・トループが司会をつとめるTVのジャズ番組『スターズ・オブ・ジャズ』に出演しており、ここでは2曲(A F)聴くことができる。

シンガーからの転進

 ドリスはナイトクラブやデイヴ・ペルのグループとのツアー、またコマーシャルの吹き込みと1970年代後半までショウビズ界で活動を続けたが、その後はもうひとつの関心事であるアートの世界に足を踏み入れた。磁器の世界である。宝石用の原石を使ってネックレスやブレスレットなどを自らデザインし製作する傍ら、水彩画や磁器の製作にいそしんだ。1980年代から90年代にかけてはサンフランシスコにある写真の額縁の大手テラグラフックス社で磁器製の額縁のデザインや絵画の制作にたずさわり、ドリスの作品は世界中で100万枚以上売れたという。
 1951年に結婚したドリスの夫ラリー・アレンはコメディアンとして地位を築いていたが、彼もショウビジネスの世界から方向転換して美術工芸のアーティストとなり壁紙のデザイナーとして成功した。仕事の関係で日本に20回以上来ており、ドリスが同行することも多かった。彼女が大変な日本通になったことは言うまでもない。
 ドリスとラリーは現在ノース・ハリウッドで仲良く暮らしている。

(ビル・リード)

曲目解説

@黄金の雨
1936年にジョニー・バークとアーサー・ジョンストンが共作して、同名の映画でビング・クロスビーが歌って、アカデミー主題歌賞にノミネートされた。

Aアイ・クライド・フォー・ユー
1923年にアーサー・フリードとガス・アーンハイム、エイブ・ライマンが共作して、A・ライマン楽団が紹介した。ドリスはモード盤『デライトフル・ドリス・ドリュー』でも歌っていた。

Bゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー
1942年にマック・ゴードンが作詞、ハリー・ウォーレンが作曲して、ミュージカル映画『アイスランド』(日本劇場未公開)でジョン・ペインが紹介した。モード盤ではクラシック調のストリングスが硬質な雰囲気を作っていたが、ここではギターのみで歌いぐっとくだけたムードを醸し出している。

Cプット・ザ・ブレイム・オン・メイム
1944年にアラン・ロバーツとドリス・フィッシャーが共作して、リタ・ヘイワースの代表作『ギルダ』でアニタ・エリスがリタの吹き替えで歌った。ドリスのたっぷりと余裕のある歌いぶりがいい。

D二人でお茶を
1924年にアーヴィング・シーザーが作詞、ヴィンセント・ユーマンスが作曲して、翌年のブロードウェイ・ミュージカル『ノー、ノー、ナネット』で紹介された。

Eアバ・デイ・アバ・デュ
フレッド・キンラン、アル・トレイス、ベン・トレイスの作詞、『ザ・テネシー・アーニー・フォード・ショウ』の編曲・指揮・演奏を担ったジャック・ファッシュノトの作曲となっている。ジャックがアルバム『ジャック・ファッシュノト・アレンジズ・シングズ』(ステフニー)のために作ったのだろう。タイトルの意味は不明だが、歌詞から想像するにペルシャ語だろうか。モンド・ミュージック的な作品を残している彼らしい作品といえる。

Fヒーズ・マイ・ガイ
1942年にドン・レイとジーン・デ・ポールのコンビが作詞作曲して、ヘレン・フォレストをフィーチャーしたハリー・ジェイムス楽団のコロンビア盤でヒット。TVショウが音源で、最後に拍手が入る。モード盤とメンバーは若干違うが、解釈やサウンドは似ている。

Gビー・マイ・ラヴィン・ベイビー
グウェン・ヘンダーソン、ペリー・ヘテル、アル・トレイスの作品とクレジットされている。E同様、ファッシュノトのステフニー盤のためのオリジナルと思われる。

Hユア・ザ・クリーム・イン・マイ・コーヒー
1928年にバッド・デ・シルヴァ、ルー・ブラウン、レイ・ヘンダーソンが共作して、ブロードウェイ・ミュージカル『ホールド・エヴリシング!』で紹介された。

Iライフ・イズ・ジャスト・ア・ボール・オブ・チェリーズ
ルー・ブラウンとレイ・ヘンダーソンの作品で、1931年のレビュー『ジョージ・ホワイツ・スキャンダルズ』でエセル・マーマンが紹介した。

Jザ・ムーン・イズ・ブルー
1953年の映画『月蒼くして』のためにシルヴィア・ファインが作詞、ハーシェル・バーク・ギルバートが作曲した。先鋭的な作風で知られるオットー・プレミンジャー監督のこの映画は「virgin」「seduce」「mistress」といった今では当たり前に使われている言葉が問題となりボストンでは上映禁止となったが、この曲はアカデミー主題歌賞にノミネートされた。

Kアイ・ウィッシュ・アイ・ワズ・バック・イン・マイ・ベイビーズ・アームズ
デューク・エリントンが書いたメロディーにカーミット・ゴーウェルが歌詞をつけ、1949年に出版された。

Lオール・オブ・ミー(ボーナス・トラック)
1931年にシーモア・サイモンズとジェラルド・マークスが作ったスタンダード中のスタンダードで、ビリー・ホリデイ、フランク・シナトラを始め名唱は数知れず。世界初のリリース。

                                                     (三具保夫)

Personnel
@C:John Williams and His Orchestra
12”LP Big Hits From Columbia Pictures(Tops/1957)
John Williams (p, arr, cond), ts/vib/g/b/ds unknown
Produced by Dave Pell

AF:The Don Fagerquist Octet
TV Stars of Jazz (November 15, 1958)
Don Fagerquist (tp), Bob Enevoldsen (v-tb), Vince DeRosa (frh), Herb Geller (r),
Med Flory (r), Marty Paich (p), Buddy Clark (b), Mel Lewis (ds), Al Viola (g)

BDEG:The Jack Fascinato Group
12” LP Jack Fascinato Arranges Things (Stepheny/1958)
Red Mandel (cl), Charles Parlato (tp), Bobby Gibbons (g), Rolly Bundock (b), Jack Sperling (ds)

HI:Lew Raymonde and His Orchestra
12”LP The Best of Old Broadway (Tops/1959)
Produced by Dave Pell

J: David Carroll and His Orchestra (Mercury/1953)

K: The Earle Hagen Orchestra/The Jud Conlon Quintet (MGM/1949)

L: Les Paul (g), Henry Gruen (sax), Dick Kane (p), unknown (b) (1948)
Audio restoration: Charles Laurence Production Co., Porter Ranch, CA; Jerry Peterson Studios, Van Nuys, CA

Release Producer: Bill Reed
Design: Kurt Reichenbach
Photo: Doris Drew Archive

 



 

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