『フランキー・ランドール・ウェイ!+1』/フランキー・ランドール  Going The Frankie Randall Way! +1Frankie Randall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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『フランキー・ランドール・ウェイ!+1』/
フランキー・ランドール
Going The Frankie Randall Way! +1
Frankie Randall
特別価格
 (YKCJ-309)
RCA 原盤
1966/67年 世界初CD化
>>購入する  

   RCAでの4枚目のアルバム。今回はシナトラのお気に入りだったビリー・メイをアレンジャーに迎え、『フランキー・ランドール・シングズ・アンド・スイングズ』を越えるダイナミックな歌を聴かせる。1967年録音の貴重なシングル盤をボーナル・トラックとして追加。
 

1. A Taste Of Honey/蜜の味 >>試聴
2. Gone With The Wind/風と共に去りぬ>>試聴
3. Crazy She Calls Me/クレージー・シー・コールズ・ミー>>試聴
4. They Didn't Believe Me/ゼイ・ディドゥント・ビリーヴー・ミー>>試聴
5. Carnival (Manha De Carnaval)/カーニヴァルの朝 >>試聴
6. Please Don't Talk About Me When I'm Gone/プリーズ・ドント・トーク・アバウト・ミー>>試聴
7. Gravy Waltz/グレイヴィー・ワルツ>>試聴
8. The Best Things In Life Are Free/ザ・ベスト・シング・イン・ライフ・アー・フリー>>試聴
9. Isn't It Romantic/イズント・イット・ロマンティック>>試聴
10. I Didn't Know What Time It Was/時さえも忘れて>>試聴
11. Here's That Rainy Day/ヒアズ・ザット・レイニー・デイ>>試聴
12. It Had To Be You/イット・ハッド・トゥ・ビー・ユー>>試聴
13 . Rosemarie/ローズマリー (ボーナス・トラック)>>試聴 
 

フランキー・ランドールのRCA第4弾

 
 18歳でジャズ・レーベルのルーレットからデビュー・アルバムを発表してから8年、フランキー・ランドールは1964年8月にマーティ・ペイチの編曲指揮でRCAに『フランキー・ランドール・シングズ・アンド・スイングズ』(LMP/LSP-2967)を録音して、前作を遥かに上回る注目を集めた。半年後の1965年2月には再びマーティ・ペイチと組んで『フランキー・ランドール・アット・イット・アゲイン』(LPM/LSP-3364)を吹き込み、第3作目にあたる『アイ・リメンバー・ユー』(LPM/LSP-3513)ではフランク・ハンターやマニー・アルバム、ジョー・ルネがアレンジを担当した。そして、第4作『フランキー・ランドール・ウェイ』(LPM/LSP-3627)のアレンジャーにはビリー・メイを迎えた。  フランキー・ランドールはフランク・シナトラのスタイルを継承する本格派のシンガーで、シナトラのタッチに若さとジャズ的な乗りを加えた活きのいい歌は本作でも引き続き好調だが、アレンジャーがドライヴィングで厚みのあるサウンドを特徴とするビリー・メイになったことで、アルバム全体の躍動感がさらに強烈になった。歌のスタイルはレコーディング・デビュー当時に比べ、かなり変わってきた。『リラクスン・ウィズ・チコ・ランドール』(ルーレット R/SR-25092)ではチェット・ベイカーやピアノ・トリオによる弾き語りの時のお手本にしたナット・キングー・コールらの影響が見られたが、26歳の時に吹きこんだ『フランキー・ランドール・シングズ・アンド・スイングズ』(今回同時発売)では完全にフランク・シナトラの影響下にあることがわかる。つまり8年の間にガラリとスタイルを変えたわけで、その辺の理由をフランキー自身は「1963年にニューヨークのジリーズというビストロのハウス・ピアニスト兼シンガーになった。ここはシナトラお気に入りのハングアウトで、ジリーズの縁でシナトラと親交を結んだことが大きい」と述べている。そして1966年に吹き込んだ本作『フランキー・ランドール・ウェイ』になるとより力強い歌へと変化しており、シナトラの引力圏からの脱出を図っていることがわかる。本人は「歌う機会がどんどん増え、それとともに歌もスタイルも成熟していった」と説明している。  ビリー・メイはネルソン・リドルやゴードン・ジェンキンス、ドン・コスタと並ぶフランク・シナトラお気に入りのアレンジャーだが、彼の起用はランドールが強く要望したからだった。ビリー・メイが集めてきた演奏メンバーは彼の手兵ともいえるハリウッドのスタジオ・ミュージシャンたちだが、ラルフ・ペイニャ(b)、アーヴ・カトラー(ds)といったシナトラのリズム・セクションも参加している。


フランキー・ランドールの経歴

 フランキー・ランドールは1938年1月11日にニュージャージー州で生まれた。RCAと契約するまでのキャリアは『フランキー・ランドール・シングズ・アンド・スイングズ』のライナーを参照いただくとして、ここではその後の足取りを紹介しよう。 RCA時代、つまり1960年代中期以降はビートルズを頂点とするロック旋風が吹き荒れ、フランク・シナトラやエラ・フィッツジェラルドでさえある程度の軌道修正を余儀なくされたし、トニー・ベネットなど軌道修正を拒んだシンガーたちはより多くの困難に直面した。第一級のスター・シンガーでさえ大変な時代だったわけだから、1960年代以降に登場してきたスタンダードのニュー・ジェネレーションの挫折や苦労は並大抵のものではなかった。ランドールのRCA5枚目のアルバムは1968年の『ザ・モッズ&ザ・ポップス』(LMP/LSP-3941)という時流に乗ったアルバムだが、これはRCAのトップの意向で制作されたもので、成功したとは言い難く当時も今もランドール自身満足していない。 RCAを離れた後は引き続き全米のクラブやジャズ・スポットにコンスタントに出演し、1982年からはもっぱらアトランティック・シティのゴールデン・ナゲットで歌い、同ホテルのエンターテインメント部門の責任者としてブッキング全般にも腕をふるった。オーナーのスティーヴ・ウィンの意向を受けて、フランク・シナトラやサミー・デイヴィス・ジュニアの出演契約をとりまとめたこともある。スティーヴ・ウィンがゴールデン・ナゲットをバリーズに売却した後も、1991年までエンターテインメント部門の副社長の地位にとどまり、一時引退した時期もあったが、現在はラスヴェガスに居を構え、ライフワークであるシナトラをテーマにしたショウをラスヴェガスやパームスプリングスで開いている。 1963年にジリーズで初めて会った時からシナトラとは常にコンタクトをとっていたが、晩年シナトラがパームスプリングスの自宅でパーティーを開く時にはしばしばピアノと歌で座を盛り上げた。シナトラはランドールを自分の後継者のひとりと見なし、ネルソン・リドルやドン・コスタ、ビリー・バイヤーズらが書いたオリジナル・スコアを十数点ランドールにプレゼントした。ランドールは2001年にシナトラへのトリビュート・アルバム『ライト・ナウ』(ビヴァリーヒルズ 001)を発表し、2003年には『レッツ・メイク・クリスマス・エヴリデイ』(グループ・セヴン・ミュージック 803081)を発表したが、同年に吹きこんだフランキー・レイン、フランキー・アヴァロン、フランキー・ヴァリという3人のフランキーに捧げたアルバムは未発表のままになっている。





【レコーディング・データ】
(11)(5)(3)(9):1966年4月19日/ハリウッド・RCAビクター・スタジオ
フランキー・ランドール(vo)
ボブ・アルバーティ(p)、ジョー・ギボンス(g)、ラルフ・ペイニャ(b)、アーヴ・カトラー(ds)、       
12バイオリン、4ビオラ、4チェロ、ビリー・メイ(arr)

 (1)(10)(2)(8):1966年4月20日/ハリウッド・RCAビクター・スタジオ
フランキー・ランドール(vo)
レイ・トリスカリ/ジョン・オーディノ/ユアン・レイジー/ドン・ファガーキスト(tp)、
ジェイムス・プリディ/ミルト・バーンハート/トム・シェパード/ウィル・シェイファー(tb)、
ジャスティン・ゴードン/ウィルバー・シュワルツ/ハリー・クリー/ロバート・ハーダウェイ/ウィリー・スミス(sax)、
ボブ・アルバーティ(p)、ジョー・ギボンス(g)、ラルフ・ペイニャ(b)、アーヴ・カトラー(ds)、ビリー・メイ(arr)
    
(6)(7)(12)(4):1966年4月21日/ハリウッド・RCAビクター・スタジオ
フランキー・ランドール(vo)
4月20日と同じメンバー



【 曲目 】

(1)蜜の味
1960年にリック・マーロウが作詞、ボビー・スコットが作曲したナンバーで、同名の舞台劇の幕間で演奏された。1962年にマーティン・デニーのリバティ盤がヒットしたが、広く知られるようになったのは1965年に発表されたハーブ・アルパートとティファナ・ブラスのA&M盤の大ヒットによるところが大きい。

(2)風と共に去りぬ
1937年にハーブ・マギドソンが作詞、アリ・ルーベルが作曲したブルーバラードだが、同名の映画の主題歌ではない。原作となったマーガレット・ミッチェルの大河小説に触発されて書かれたもの。

(3)クレージー・シー・コールズ・ミー
1949年にボブ・ラッセルが作詞、カール・シグマンが作曲した狂おしき恋の歌で、ビリー・ホリデイのデッカ盤が名高い。

(4)ゼイ・ディドゥント・ビリーヴ・ミー
ハーバート・レイノルズが作詞、ジェローム・カーンが作曲して、1914年のブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ガール・フロム・ユタ』で紹介された。大変美しいバラードだが、ランドールは小気味よくスイングしている。

(5)カーニヴァルの朝
ブラジルのアントニオ・マリアが作詞、ルイス・ボンファが作曲したナンバーで、胎動期のボサノヴァ音楽がちりばめられた映画『黒いオルフェ』(1959)で紹介された。ここではヒューゴー・ペレッティとルイジ・クリートアが書いた英詞で歌われるが、フランク・シナトラやジャック・ジョーンズはカール・シグマンの英詞「ア・デイ・イン・ザ・ライフ・オブ・ア・フール」として歌っていた。

(6)プリーズ・ドント・トーク・アバウト・ミー
1930年にシドニー・クレアが作詞、サム・H・ステットが作曲したナンバーで、ビー・パーマーやケイト・スミスのレコーディングで広まり、ミュージカル映画『ララバイ・オブ・ブロードウェイ』(1951)にも使われた。

(7)グレイヴィー・ワルツ
モダン・ジャズの巨匠のひとりレイ・ブラウン(b)とマルチタレントのスティーヴ・アレンの共作で、スティーヴ・アレンのTVショウで評判になり、スティーヴ・アレンのドット盤がヒット。1963年度のグラミー賞で最優秀ジャズ作曲賞を受賞している。レコードはレイ・ブラウンを始めインスト盤が圧倒的に多いが、サラ・ヴォーンやエディ・ジェファーソンのヴォーカル盤もある。

(8)ザ・ベスト・シングズ・イン・ライフ・アー・フリー
1927年にバッド・デ・シルヴァ、ルー・ブラウン、レイ・ヘンダーソンの3人が共作したナンバーで、ブロードウェイ・ミュージカル『グッド・ニューズ』で紹介され、1930年と1947年の映画化でも使われ、1956年にはゴードン・マクレイとダン・デイリーの主演でこの歌をタイトルにしたミュージカル映画も作られたが、いずれも日本未公開。

(9)イズント・イット・ロマンティック
ロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ミュージカル映画『今夜は愛して頂戴ナ』(1932)で、モーリス・シュヴァリエ、ジネット・マクドナルド、バート・ローチ、ロフル・セダン、タイラー・ブルックらが歌った。また1948年には同名の映画が作られている。

(10)時さえも忘れて
1939年にロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『トゥー・メニー・ガールズ』で紹介された。1957年の映画『夜の豹』ではシナトラが歌っている。

(11)ヒアズ・ザット・レイニー・デイ
僅か6回で幕を下ろしてしまった1953年のブロードウェイ・ミュージカル『カーニヴァル・イン・フランダース』のためにジョニー・バークが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲したナンバー。この曲もミュージカルの閉幕と同時に埋もれてしまったが、1959年にシナトラがレコーディングしたことでスタンダードになった。

(12)イット・ハッド・トゥ・ビー・ユー
1924年にガス・カーンが作詞、アイシャム・ジョーンズが作曲して、アイシャム・ジョーンズ楽団が紹介して有名になった。メグ・ライアンとビリー・クリスタルが共演した1989年のラヴ・コメディー映画『恋人たちの予感』ではシナトラのリプリーズ盤が大変印象深く使われた。

(13)ローズマリー (ボーナス・トラック)
このボーナス・トラックは1967年シングル盤(47-8814)用に吹き込まれたもので、編曲指揮は本アルバムをプロデュースしたジョー・ルネ。「マック・ザ・ナイフ」のボビー・ダーリン・ヴァージョンを連想させるサウンドだ。リオン・ポーバーとノーバート・シュルツの作品。



(2005年10月8日 三具保夫)
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